道端のノート。

僕の好きな詩を少しづつ載せてみたり、自分の詩を載せてみたり、
唯のくたびれたノートの1ページです。



2010/06/09

肉と霊について(Of flesh and spirit)

私は二十三の歳まで処女だった。
その後はいつでも、こっそり複数の恋人がいた。

中国ではポルノ・ビデオを見ただけで死刑になるが、どのデパートにも
コンドームとピルを、ただでみんなにくれる。法律で義務づけられているのだ。

母が手作りの最初のブラを差し出したとき、私は恥ずかしさのあまり
大声を出して外に逃げ出した。母は自分で使うには小さすぎたので、
そのブラをずたずたに切り裂いた。

八百年の間、女の纏足は中国の男たちにとって最も美しい欲情の対象だった。
三インチの「黄金の蓮」に比べれば、おっぱいや尻などどうでもいいものだった。
頭がおかしいか鼻に問題があったに違いない。昼も夜も何重にも
布を巻かれたままの私の祖母の足は、魚の腐った臭いがした。

けつの穴は、中国語では「屁の目」と言う。

中国では、二十五で独り身の女は両親を悩ます。二十八で独り身の女は
友人と同僚を悩ます。三十で独り身の女は上司を悩ます。三十五で
独り身の女は憐れまれ、変態とみなされる。

一番こたえる悪口を浴びせる時は、「てめえのお袋をファックしちまえ」、
「てめえの婆さんをファックしちまえ」、「十八代前の曾婆さんを
 ファックしちまえ」と言う。

ある日、父が母に、うちの雄鶏はもう跳び上がれるかと聞いた。
雌と番えるか、という意味だった。私は母が答える前に口をはさんだ、
「だいじょうぶよ。鶏小屋の屋根の上に跳び上がるのを見たわ」と。
私は十歳だった。

女たちは月のものを「例のつきもの」と呼び、科学の本は「月経」と呼ぶ。
洗練された人達は「月の光がどぶにあふれている」と言う。

最初の男は、私の処女を奪った後、私とアメリカで結婚すると誓った。
男には子供が二人と、無学な妻がいたが、警察に離婚を請求する
勇気はなかった。男は私を、北京ホテルに滞在中のアメリカ系中国人の
いとこに会わせ、男がアメリカに行くための保証人になってくれと頼んだ。
しかし、そのいとこは私の保証人になった。それで私が今ここに
いるのであり、男は妻の元に戻る事になった。
多分まだ私のことを呪っているだろう。

中国の百姓は、妻の事を「うちのやつ」と呼ぶ。中国のインテリは、
妻や妾を「黄金の家の人形」と呼ぶ。社会主義のもとでは、
夫と妻は「愛人」と呼び合う。

祖母が飽きもせずしょっちゅうしていた話があった。
好色な男の話で、その男はその好色ゆえに罰せられ、
額にペニスをぶら下げて町中を歩かされたという。

われわれは「恋に落ちる」とは言わず、「恋を語る」と言う。

家を出る時、父が私に言った。  二十五になる前に恋を語るなと。
私は耳をかさなかった。まあ、私の最初の男は妻のある臆病者だったし、
私の最初の結婚は一週間しか続かなかったけど。
夫は私と寝ただけで、それ以来私は一度も会っていない。




           ワン・ピン(Wang Ping)